量子コンピュータの基本素子・量子ビットのハードウェア実装(超伝導磁束編その5~データの読み出し(測定)~)
その1~素子構造~
その2~超伝導リング詳細~
その2.5~ノイズ耐性~
その3~初期化~
その4~データの書き込み・演算
では最後に、量子ビットに書き込んだデータを読み出す技術、つまり「量子を観測する」とは実際にはどういうことなのか、を見ていこう。かなり難しく・長くなるので注意して欲しい。
今回キーとなるのは図19で量子ビット本体を囲んでいる②の回路、SQUIDだ。SQUIDは必ずしも量子コンピュータ専用の部品というわけではなく、一般的に超高感度磁場センサとして使われているので、すでに知っている方もいるかもしれない。SQUIDの動作原理を数式で理解しようとすると結構大変だが、ここでは量子ビット読み出しの仕組みを理解するのに必要な部分だけをおおざっぱに説明する。
SQUIDの仕組み
SQUIDの構造
SQUIDの構造自体は量子ビット本体とよく似ており、ジョセフソン接合を含む超伝導リングである。量子ビットと違うのは、ジョセフソン接合が2つであること、外部から電流を注入するための導線がくっついていることである(図20)。
ジョセフソン接合の限界
ジョセフソン接合は、薄い絶縁体を超伝導体でサンドイッチすると、絶縁体にも超伝導電流が流れるというものであった。しかし、このような状態にはやはり限界がある。ジョセフソン接合に流す電流値がある限界を超えると、超えた分の電流は普通の(トンネル)電流として流れてしまうのだ*1*2。つまり、ジョセフソン接合に電気抵抗が生じ、電圧降下が発生する。このことがSQUIDの動作原理のキーポイントである。
SQUIDによる磁場検出
では、一般的にSQUIDでどのように磁場を検出するのかを見ていこう。なお、以下の説明の大部分は文献[2](こちらのウェブページ)を参考にさせていただいた。
まず具体的にどういう操作をするのか結論だけ述べておく。SQUIDに外部から電流を注入し、それを強くしていって、どのくらいの電流でジョセフソン接合が限界に達して電圧が生じるのかを観察するのである。
(1)磁場がない(ゼロ)場合
最も簡単な場合として、検出すべき磁場がゼロである場合のことを考えよう。図21のようにSQUIDに生えている端子から電流を注入すると、SQUID内をずつに分かれて流れ、もう片方の端子で合流して出ていく。をどんどん大きくしていって、ジョセフソン接合を通る電流が限界値を超えるとジョセフソン接合の両端に電圧が生じるので、あらかじめSQUIDに電圧計をつけておいて電圧計が反応した時のを記録しておく。ただし、これはあくまで一般論である。量子ビットに応用するときには電圧計は別のところについているなど、ちょっとした違いがあるので、その点については後述する。
(2)弱い磁場がある場合
次に、SQUIDリングを弱い磁場が下から上に貫いている場合を考えよう*3。その2で述べたように、超伝導リング内に中途半端な磁場が存在すると、それを相殺する磁場を生み出すために、リングに(右回りの)電流が流れる。この状態で電流を注入してみよう(図22)。
ここで、ジョセフソン接合に流れる電流に注目して欲しい。右側では、元々SQUIDに流れている電流と外部から注入された電流が、同じ向きに流れているのだ。キルヒホッフの法則により、ジョセフソン接合にはこの2つの電流の和が流れ込むことになる。そのため、を強くしていくと、磁場がなかった時よりも小さいでジョセフソン接合が限界を迎えるのだ*4。
(3)そこそこ強い磁場がある場合
続いて、もう少し強い(具体的にはを超えない程度の)磁場がSQUIDを貫いているとしよう。加わっている磁場が大きいと、それを相殺するために流れる電流も大きくなる。その結果、ジョセフソン接合に電圧降下を起こすために必要な外部電流はさらに小さくなるのがわかるだろう(図23)。
このように、SQUIDを貫く磁場が大きくなると、電圧降下を起こすのに必要な外部電流が小さくなっていく。さらに正確に言えば、磁場がを超えると再び外部電流の限界値が大きくなり、磁場がになると磁場がないときの状態に戻る、という周期性がある(磁場がであれば磁束量子条件を満たしているので、SQUIDに円電流は流れない)。この効果を利用して磁場の強さを測定するのが、SQUIDの基本的な原理である。ただし、文献[2]として挙げたウェブページでは、注入する外部電流は常に一定で、常伝導成分の変化によって生じる電圧値の変化を読み取る、という説明になっている。ここでは、量子ビットの説明に都合がいいように説明を改変したことをお断りしておく。
量子ビット読み出し回路としてのSQUID
では、SQUIDがどのように量子ビットに応用されているのかを見ていこう。ただ、ここの部分の説明は比較的優先度が低いので、どうしても我慢できなければ「ここまでのまとめ」を読んでいただくだけで構わない。
量子ビットが生み出す磁場
再び図19の写真を見ると、SQUIDの内部に量子ビットが配置されていることがわかる。量子ビットから発生する磁場をSQUIDで測定するわけだ。ところで、素朴に写真を眺めていると、SQUIDは量子ビットの内側部分の磁場を検出のだろう、となんとなく直感的に考えると思う(図24)。
しかしよく考えてみると、量子ビットの内側の磁場は、まさに量子ビットが生み出す磁場によってゼロまたはに保たれている。上述したように、の磁場はSQUIDにとってはゼロと同じことであり、ゼロと区別することができない。ではどうするのかというと、実は、SQUIDが検出するのは量子ビットの内側ではなく、外側の磁場なのである(図25)*5。
一応、量子ビットの外側に磁場が生じる仕組みも説明しておこう。量子ビットリングには、加えられている磁場を相殺するための右回りの電流が流れている。ここで、リングの一辺だけを考えて直線状の電流に対する「右ねじの法則」を適用する。すると、リングの内側では磁場が下向きであるのに対し、リングの外側では磁場が上向きであることがわかるだろう(図26)。
このように、量子ビットはリングの内側だけでなく、外側にも磁場をつくる。SQUIDはこの外側の磁場を検出するわけだ*6。ただし、量子ビットが内側につくる磁場が、例えばだったとして、外側もだとは限らないことは注意しておく。磁場(正確には磁束)の値は、領域の面積に比例するからだ。図19の写真を見ると、どう考えても明らかに量子ビットの外側の面積の方が小さいので、具体的な磁場の数値は外側では小さくなるはずだ。とは言っても、「リングに流れる電流が弱ければ生じる磁場も弱いし、リングに流れる電流が強ければ生じる磁場も強い」という定性論は成り立つ。ここで思い出してもらいたいのが、その4の後半で述べた通り、データ読み出しの段階では量子ビットは「右回り」と「左回り」が基準になる状態に変換されており、右回り状態が電流が弱く(=エネルギーが低く)、左回り状態は電流が強い(=エネルギーが高い)ということだ(その2の図6を参照)。つまり、量子ビットが外側につくる磁場にも強弱がある。量子ビットが右回りなのか左回りなのかによってSQUIDを貫く磁場の強さが変わり、その違いが検出されるのだ。
量子ビットのデータ読み出し
ゴールまであともう少しだ。
ここで、入出力線まで含めた量子ビット読み出し回路の全体図を確認しておこう(図27)。ただし、図は文献[1]を参考に説明しやすいように改変した*7。
SQUIDの説明でもちょっと触れたが、測定器(電圧計+カウンタ・パソコンなど)がSQUID本体とは少し離れて設置されている。そのため、信号の流れがやや複雑になるのだが、それを理解するためにあと一つだけ勉強していただくことがある。中学校の理科(あれ、もしかしたら高校の物理かも?)で習う回路理論だ。
並列抵抗回路
問題:以下の図28のように、抵抗と抵抗が並列に接続されている。そこに電流を流すと、それぞれの経路を流れる電流はいくらか?
答え:
一気に答えまで出してしまったが、並列回路では抵抗値に応じて電流が分配されるということが分かればよい。例えば、、とすると、、である。両方の経路に電流が流れてはいるが、その大きさは異なる。抵抗とは電流の流れにくさであるのだから当然だが、電流は抵抗が低い経路を優先して流れるのだ。このことをもう少し極端な状況で試してみよう。にしてみたらどうだろうか。上記の式に当てはめると、、となる。つまり、抵抗ゼロの経路がある場合、電流はその経路にすべて流れ込み、抵抗がある経路には一切流れなくなる。この状況を短絡(ショート)と呼ぶ(図29)。
ここで理解しておいて欲しいことをまとめると、
・並列回路では電流は(抵抗値に応じて)それぞれの経路に分配される。ただし、抵抗ゼロの経路がある場合、電流は全てそちらに流れる(ショート)
ということになる。
全ての話がつながる
さあ、これで準備は整った。この記事で説明してきた知識が、ここで全てつながる。ここまでの知識を、改めてまとめ直してみよう。
・SQUIDの一般論
・ジョセフソン接合に限界を超えた電流を流すと、抵抗が生じる。
・SQUIDを貫く磁場が強いほど、より小さな外部電流を注入するだけで抵抗が生じる。
・量子ビットとSQUIDの関係
・SQUIDは、量子ビットが(リングの外側に)つくる磁場の強弱を読み取る。
・量子ビットが右回り状態であればSQUIDを貫く磁場は弱く、左回り状態であればSQUIDを貫く磁場は強い。
・回路理論
・並列回路では電流は(抵抗値に応じて)それぞれの経路に分配される。ただし、抵抗ゼロの経路がある場合、電流は全てそちらに流れる(ショート)。
では、最後のピースをはめよう。量子ビットの状態によってSQUIDを貫く磁場の強さが変わり、それに応じてSQUIDの抵抗ゼロを保ったまま入力できる電流が大きくなったり小さくなったりする。では、「中くらい」の電流を、トリガー信号として入力してみよう。何が起こるだろうか。
量子ビットが「右回り」状態だった場合
もし量子ビットが「右回り」状態だったならば、SQUIDを貫く磁場は小さい。ここに「中くらいの電流」が注入されても、ジョセフソン接合の限界まで余裕がある。抵抗はゼロのままだ。このとき、入力されたトリガー信号は全て抵抗ゼロのSQUIDに流れ、わざわざ「抵抗」がある出力線には流れない。当然、出力線に設置された電圧計も反応しない。トリガー信号を入力してからどれくらい待てば判断できるかは事前に調節してあるとすると、「電圧計に反応がない」ことをもって、量子ビットが「右回り」状態だったのだと確定する(図30)。
量子ビットが「左回り」状態だった場合
もし量子ビットが「左回り」状態だったならば、SQUIDを貫く磁場は大きい。ここに「中くらいの電流」が注入されると、ジョセフソン接合が限界に達して抵抗が生じる。このとき、入力されたトリガー信号が、SQUID側と出力線側に分配される(具体的な比率までは分からないが)。すると、「抵抗」に電流が流れて電圧が生じ、電圧計が反応する。これが、量子ビットが「左回り」に確定したという信号だ(図31)。このイベントはカウンタやパソコンに記録され、実験データが十分に集まれば統計処理などが行われる。例えば、最適動作点でのラビ振動によって「80%、20%」という状態をつくり、「80%、20%」に変換して測定する。実験を繰り返せば、統計的に電圧計が反応する確率は20%だという結果が得られるだろう*8*9。
参考文献
[1] K. Kakuyanagi et al., Dephasing of a Superconducting Flux Qubit. Phys. Rev. Lett. 98, 047004 (2007)
[2]SQUIDの動作原理についてはこちらのウェブページを参考にした
[3] 仙場浩一, 超伝導磁束量子ビットの単一回読み出し, NTT技術ジャーナル2004年1月号
[4] S. Saito et al., Parametric Control of a Superconducting Flux Qubit. Phys. Rev. Lett. 96, 107001 (2006)
最後に
なんとか年内に終わらせることができた。実をいうと磁束量子ビットについてもう一回分書きたいことがあるのだが、まだ勉強していないので、文献が理解できるかどうか次第である。
それにしてもここ数年で本当に量子コンピュータはメジャーな存在になった。(おそらく将来高級言語として用いることを想定した)量子シミュレータ言語などもかなり増えてきた。しかし理論やソフトの情報に比べてまだまだハードの情報が少ないと思う。例えば、「量子コンピュータ Advent Calendar 2017」の記事を見ると、ほとんどが理論やアルゴリズム、シミュレータの話である。もちろんこれらの記事のレベルは大変高い。私自身は理論やシミュレータには弱いので本当に勉強になる。だが、これだけの量の記事がありながらハードに全く触れられていないのは、Qiitaがそもそもプログラミングやソフトウェアのためのサイトだということを差し引いても、少し寂しい。みんなは「”観測”、”観測”って、言葉では簡単にいうけど、実際のチップからはどんな信号が出てくるんだ?」とは疑問に思わないのだろうか?ぜひ、ハード関連の情報がもっと増えて欲しい。そうすれば私も勉強する手間が省けるのに。
というわけで、今年の更新はこれで終わる。皆さん、よいお年を。
*1:そもそも超伝導体そのものにも流せる電流の限界値が存在するが、ジョセフソン接合はそれよりも弱い
*2:一度ジョセフソン接合の限界を超えても、流す電流を弱めれば再び超伝導状態に戻る
*3:向きはあまり関係ないので、上から下に貫いていてもよい
*4:電圧降下は片方のジョセフソン接合が限界を迎えた時点で発生するので、もう片方では電流が相殺しているということは気にしなくてもよい。 また、SQUIDに流れる電流が左回りであるならば左側のジョセフソン接合が電圧降下を起こすというだけの話なので、磁場や電流の向きもあまり気にする必要はない。
*5:正直にいうと、この説明には100%の自信はない。文献中にはっきりとした記述がないからだ。例えば文献[1]には「量子ビットとSQUIDはinductiveに結合している」とある。また、文献[3]には「量子ビットとSQUIDの2つのループの面積比は最適化されています」とある。これらの情報を総合して自分なりに噛み砕いた結果が、本文中の説明である。
*6:元々超伝導リングに意図的に加えている磁場の一部もSQUIDに入っているはずだが、それは考慮に入れなくてもおおざっぱな理解には問題ないだろう
*7:例えば、原図では回路安定化のためのキャパシタやローパスフィルタなどがついているが、全部省いた。また、測定器は原図には書かれておらず、おそらく「抵抗」よりも奥に設置されているはずだが、私の図では説明の都合上「抵抗」にくっつけた。本質的な部分は変わらないはずなので許してほしい。
*8:最初はどのくらいの時間のラビ振動でどのくらいの確率の重ね合わせになるかは分からないので、試行錯誤で調節する。そのあたりの話はシリコン編おまけを参照のこと。
*9:もともと最適動作点の状態でいうと、であれば信号が検知されるということである。ところで実は、最適動作点からずらすときに磁場を強めて「左回り」のエネルギーが低いような状態にすると、測定信号が反転する。すなわち、最適動作点でであれば信号が検出されるようになる。この仕組みをうまく説明できるほど理解できなかったので、磁場を弱める方を採用した。信号が反転するということ自体は、文献[4]を参照のこと。