不確定な世界

科学の話題を中心に、勉強したことや考えたことを残していきたいと思います

量子コンピュータの基本素子・量子ビットのハードウェア実装(超伝導磁束編その2~超伝導リング詳細~)

その1~素子構造~


では、超伝導リングをもっと詳しく見ていこう。はじめに、量子ビット(+SQUID)の拡大写真を再掲しておく(図2)。図の右側は回路図表記である。

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図2 左:量子ビット拡大写真(文献[1]より転載)、右:回路図

ジョセフソン接合

超伝導リングの一部が細くなっている部分(回路図の×印)が、ジョセフソン接合である。ジョセフソン接合とは、以下のように2つの超伝導体(例えばアルミニウム)に絶縁体(例えば酸化アルミニウム)の薄膜が挟まれた構造のことをいう(図3)。なお、ジョセフソン接合の作成プロセスに興味のある方は文献[2]を参照してほしい。

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図3 ジョセフソン接合

絶縁体は本来は電気を通さない。しかし、ジョセフソン接合ではトンネル効果によって絶縁体に超伝導電流が流れる*1量子ビット本体の超伝導リングには、このようなジョセフソン接合が3か所ある。

ジョセフソン接合の役割

では、ジョセフソン接合は量子ビットにおいてどのような役割を果たすのだろうか。それは、一言でいえば「二準位系を孤立させる」ことだ。ジョセフソン接合がない場合、超伝導リングに流れる電流のエネルギーは、図4左のように等間隔に並ぶ。この場合、どのエネルギー帯を「ビット」として扱えばいいのかがわからなくなる。ジョセフソン接合があると、このエネルギー間隔に歪みが生じ、図4右のように二準位系を選び出すことができる*2。これが、ジョセフソン接合の役割である。

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図4 ジョセフソン接合の役割

磁束量子

次に、超伝導リングを用いてどのように量子ビットを構成するのかを説明する。キーワードは「磁束量子」である。
実は、超伝導リングは磁場に対して不思議な性質を持っている。リングの内側では、ある単位量の整数倍の強さの磁場しか存在できないのだ。この単位量を磁束量子と呼び、記号では\displaystyle \Phi_0と書く*3(図5)。ただし、これはリング内での単位であり、この世に存在できる最小磁場というわけではない。

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図5 磁束量子

小さな磁場を加える

ここで、超伝導リングの下から上に向けて、外部から\displaystyle \frac{\Phi_0}{2}よりも小さな(例えば\displaystyle 0.1 \Phi_0*4)磁場を加えるとしよう。これは超伝導リングにとっては困った状態だ。リングの中では磁束量子の整数倍の磁場しか存在できないからだ。そこで、リングに電流が流れることで「右ねじの法則」に従った磁場を生み出し、無理やり「磁束量子条件」を満たしてしまうのだ。
辻褄の合わせ方は2通り存在する。下向きに\displaystyle 0.1 \Phi_0の磁場を生み出してリング内の磁場を差し引きゼロにするか、上向きに\displaystyle 0.9 \Phi_0の磁場を生み出して\displaystyle \Phi_0まで引き上げてしまうか、である。どちらが簡単だろうか。右ねじの法則によって生じる磁場の強さは、リングに流れる円電流の強さに比例する。つまり、リングに右回りの電流を流して下向きの磁場を発生させる*5ほうが、より小さな電流で実現でき、エネルギー的に安定である。逆にリングに左回りの電流を流して上向きの磁場を発生させる*6のは、より大きな電流が必要で、エネルギー的にやや不安定である。今ここに、電流の向きによるエネルギーの違いに基づいた二準位系、磁束量子ビットが誕生した*7(図6)。

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図6 \displaystyle \frac{\Phi_0}{2}よりも小さな磁場を加えたときの磁束量子ビット

(注)なお、この図では説明の都合上左右の電流が大きく異なるように書いたが、実際には左回りも右回りも同じ300nA程度のようだ。個人的には、左右の電流が全く同じだとは思えないのだが…。実際には0.5付近の磁場を使うので電流はほとんど変わらないと理解して大丈夫なのだろうか?おそらく、ジョセフソン接合の非線形効果も関係してるのだろうが、私もこのあたりの理解はまだ曖昧なので詳しい方がいたら是非教えてほしい。

大きな磁場を加える

では次に、超伝導リングに加えている磁場を、\displaystyle \frac{\Phi_0}{2}よりも大きく(例えば\displaystyle 0.9 \Phi_0*8)してみよう。大体想像はつくだろう。今度は上向きの磁場を発生させて合計\displaystyle \Phi_0にしてしまう方が簡単になり、下向き磁場でキャンセルする方が不安定になるのである。このように、リングに加える磁場を変えることで、電流の向きとエネルギーの上下関係が入れ替わるのだ(図7)。

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図7 \displaystyle \frac{\Phi_0}{2}よりも大きな磁場を加えたときの磁束量子ビット

最適動作点

最後に、超伝導リングに加える磁場を、ちょうど\displaystyle \frac{\Phi_0}{2}にしてみよう。どうなるか分かるだろうか?この時、下向き磁場で打ち消しても上向き磁場で\displaystyle \Phi_0にしてもエネルギー的にはどちらでもよくなる。電流は右回りでも左回りでも、どちらでもよい。実はこの時、右回りと左回りの「プラスの重ね合わせ状態(記号では\displaystyle |+>と表記する)」が最も安定した状態であり、右回りと左回りの「マイナスの重ね合わせ(同じく\displaystyle |->と表記する)」の方がエネルギーが高くなる*9。「重ね合わせ状態」が、量子ビットの基準(専門用語では基底)となるのだ(図8)。

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図8 ちょうど\displaystyle \frac{\Phi_0}{2}の磁場を加えたときの磁束量子ビット


100歩譲って「右と左のどちらでもいいから重ね合わせが基準になる」というのは分かるかもしれないが、なぜ重ね合わせの符号が違うとエネルギーが違うのか…など、細かいことは言葉だけで理解するのは難しいと思う。ここはそんなものだと思ってもらうしかない。
重要なことは、重ね合わせが基準になっている今の状況こそが、実際には好んで使われる、ということだ。なぜこのような理解しにくい状態をわざわざ使うのか。それは、この状態が磁場ノイズに対して最も安定して動作するからである。この特徴のため、外部磁場がちょうど\displaystyle \frac{\Phi_0}{2}である状態は最適動作点と呼ばれている*10(文献[3][4][5]などを参照)。

今回はここまで

超伝導磁束量子ビットとは一体何なのか。そこの部分は大体解説できたと思う。次回は量子ビットの初期化法について…と言いたいところだが、補足として「最適動作点がなぜノイズに強いのか」についてもう少し突っ込むかもしれない。本筋からややずれるかもしれないが、個人的に面白いと思ったので。

その2.5~ノイズ耐性~

参考文献

今回参考にした文献はこちら。参考文献は記事ごとに示しているので、以前の記事と重複しているものもある。なお、文献[5]は文献[4]の著者による(学会か何かの)スライドである。内容はほぼ同じであるが、スライドの方が図が豊富で分かりやすい。
[1] 仙場浩一, 超伝導量子ビットと単一光子の量子もつれ制御, NTT技術ジャーナル2007年11月号
[2] 仙場浩一, 超伝導磁束量子ビットの単一回読み出し, NTT技術ジャーナル2004年1月号
[3] 齊藤志郎 他, 超伝導量子ビットとスピン集団のコヒーレント結合, NTT技術ジャーナル2012年6月号
[4] P. Bertet et al., Dephasing of a Superconducting Qubit Induced by Photon Noise., Phys. Rev. Lett. 95, 257002 (2005) (arXiv版はこちら)
[5] P. Bertet et al., Photon-noise induced dephasing in a flux-qubit. (文献[4]の著者によるスライド。内容はほぼ同じだが図が豊富。)

*1:絶縁体にトンネル電流が流れること自体は、半導体などでもよく起きる現象だ。しかし、ここで言っているのは単なる電流ではなく、超伝導電流である!

*2:電子のスピンや光子の偏光の場合は本質的に2準位しか存在しないので、このような心配が不要になる。

*3:具体的な数値は\displaystyle \Phi_0 = \frac{h}{2e} \sim 2.07 \times 10^-15 Wbである。

*4:実際には、\displaystyle 0.495 \Phi_0のように、0.5より少しだけ小さい数字が使われる。ここでは話を簡単にするため極端な数字を挙げた。

*5:右手の親指を立て、ブーイングのポーズをしてみよう。

*6:右手の親指を立て、グッジョブのポーズをしてみよう。

*7:もちろん、磁場の合計が2\displaystyle \Phi_0や3\displaystyle \Phi_0になるような強い電流でも磁束量子条件を満たすことができる。ジョセフソン接合の説明における、エネルギーが等間隔に並んでしまって困るという話はこのことを指している。

*8:先程と同様に、0.9というのは極端な数値であり、実際に使われるものではない。

*9:重ね合わせ状態って壊れやすいんじゃなかったっけ?と思うかもしれないが、それは「固有状態間の重ね合わせ」が壊れやすいのであって、「重ね合わせ自体が固有状態」である場合は問題ない。

*10:文献によっては\displaystyle 1.5 \Phi_0が採用されていることもあるが、理由は同じである。