不確定な世界

科学の話題を中心に、勉強したことや考えたことを残していきたいと思います

「nature 科学」シリーズ;竹内薫 監修 読書感想

今回紹介するのは、
nature 科学 系譜の知
nature 科学 未踏の知
nature 科学 深層の知
の3冊。
「nature」は有名な科学論文雑誌なので、ご存じの方も多いだろう。そのnature誌の一般向け解説コラム「News & Views」過去10年分の中からイチオシの内容が選定され、分野別に収録されているのが本書である。

本書は分野別に3冊に分かれているのだが、それぞれの巻の話をする前にまずは全体の感想を述べておこう。
本書の内容はかなり難しい。ブルーバックスのような本と違って特定の論文をダイレクトに解説しているため、細分化されたニッチな話が多いし、専門用語もバンバン出てくる。正直に言うと、自分の専門分野に比較的近い部分を除き、書いてあることの殆どは理解できなかった。
それでも私が本書を読んだのは、科学の「現場」に近い情報が欲しかったからだ。素人向けの雑学本やニュース記事から学ぶことも多くあるが、やはりそのような知識と最先端の現場にはある程度のギャップがある。常識的な手段*1でそのギャップを埋める最も手っ取り早い手段は学術論文を読むことだが、大抵の人にとってそれはハードルが高すぎる。本書を読めば、学術論文を読んだり、あるいはそれを理解するための体系的な勉強をすっ飛ばして、現場を覗き見ることができるというわけだ。万人のおすすめできる本ではないが、私と同じように分からないなりに現場を知りたい、という人には一読の価値がある。

さて、それでは、個々の巻の中で、興味を持ったテーマをそれぞれ1つずつピックアップしてみよう。

系譜の知

この巻では主にバイオ・医学・生物系の内容が扱われている。私の生物学の知識は高校1年生の時に必修だった生物Ⅰで止まっており、特にタンパク質やら薬品やらの名前が次々に出てくる分子生物学系の話には苦手意識さえある。一方で、脳科学には人並みに興味があるし、進化論・古生物学の話は割と好きだ。
そういうわけで、この巻で最も興味を持った話題は「進化(古生物)」カテゴリの、「始祖の地位から墜ちた始祖鳥」(オリジナルの論文は文献[1]を参照)。始祖鳥といえば恐竜から鳥への進化を表す化石として有名であるが、なんと、その始祖鳥が鳥ではないかもしれないというのだ。もしこれが本当なら、冥王星が惑星から墜ちたときと同じくらいの衝撃である*2
おおざっぱに要約すると、中国で新たに発見された新種を含めて分析すると、始祖鳥は鳥群(現在の鳥類に繋がる分類)から外れて別系統の種として分類される、ということらしい。ただし、重要なことは、その新種を除外して再分析すると、始祖鳥は鳥群に復活するということだ。たった1種の有無だけで分類が変わってしまうわけなのだから、今後の発見次第でこの研究の結果も覆る可能性は十分にありうるということだ。なんとも難しい分野である。

未踏の知

地球・環境・宇宙系の内容が扱われている巻ではあるが、宇宙に関する内容がおよそ半分を占めている。一般に宇宙の話が一番需要があるのだろうが、ここではあえて「地球」カテゴリから、「シート状の対流が作る地球ダイナモ」を紹介したい。
そもそもダイナモ理論とは、地球などの天体が磁場を生み出す仕組みを、天体内部の導電性流体の対流に求める理論である。ここで紹介されている研究は、従来のダイナモ理論のシミュレーションでは流体の対流が円柱状になるのに対し、より現実に近い条件でシミュレーションを行ったところ、対流が薄いシート状になったという内容だ。
私の印象に残った部分は二つ。一つは条件が現実に近いにもかかわらず、棒磁石のような双極子型の磁場形状を説明するという観点からは、従来の理論よりも悪くなってしまったらしいということ。もう一つは、コンピュータの性能限界から、その「現実に近い条件」でさえ非現実的にせざるを得ないということだ。例えば、粘性率に関わるエクマン数という数値は、現実の10^{-15}ではなく、10^{-6}\sim10^{-7}程度の数値を使っているというのだ。なんと現実値と8桁も違う!ほかにも、磁気プラントル数という数値は現実値10^{-6}に対して、1となっているらしい。この点について記事の中では、「モデル作成の秘訣は「適当な割合で間違っている」変数を用いることにあるのかもしれない」と指摘されている。つまり、模型飛行機で風洞実験を行うのと同じように、適切なスケーリングで計算しなくては現実は再現できない、ということなのだろうと理解した。
この記事の元になった論文(文献[2])は2008年のもの。この10年で進展があったのかどうか気になって少し調べてみた。文献[3](2015年)に目を通す限りそこまで大きなブレイクスルーはないようだが、地道に進んでいる様子がうかがえる。今後の研究に期待したい。

深層の知

この巻は学生時代の専門に最も近い物理・化学・工学分野を扱っており、上の2冊に比べて比較的理解しやすく、興味を持った記事も多かった。その中から一つ選ぶとしたら、やはり量子コンピュータ関連の記事「ピンクのキュービット」だろう。
ダイヤモンドと言えばもちろん宝石としての用途が最も一般的だが、その硬さを活かして研磨剤やダイヤモンド・カッターなどの加工機械に使われていることも有名である。しかし、その輝きの中に量子コンピュータとしての機能も備わっていることは、あまり知られていないのではないだろうか。
ダイヤモンド結晶の中で窒素不純物と空孔が隣り合った構造を窒素-空孔(NV)中心という。NV中心はダイヤモンドにピンク色を帯びさせるという、宝石の観点からも重要な特性を持つ。しかし今重要なのは、NV中心が天然の量子ドットとなって電子を捕獲し、その電子のスピンをキュービットとして利用することができるという点だ。
ダイヤモンド中のスピンは驚異的なコヒーレンス時間を持つという優れた性能を持つが、一方で拡張性、つまり多キュービット系を構築することに対して課題がある。その課題にチャレンジしたのがこの研究で、NV中心と、その近くに存在する別の電子スピン(窒素中心)が2キュービット系として扱えることを明らかにしている。
ただし、この記事で紹介されている論文(文献[4])は2006年のものであり、この分野の進展スピードを考えるとかなり古い。現在、ダイヤモンドキュービットでは既に量子テレポーテーションや量子エラー訂正アルゴリズムが実装されている(文献[5][6])*3。また、ダイヤモンドは超伝導回路などの他のハードウェアと比べて「光」との相性がよいため、量子通信関連の文脈でよく登場する。実をいうと、この記事を書いている途中でまさにそのようなニュースが飛び込んできた(文献[7])*4
最先端の科学というは、今、この瞬間にも進んでいるのである。

最後に

最後にもう一つ、本書の内容そのものとは直接は関係ないのだが、本書のおすすめポイントとしてぜひ挙げておきたいのが、「帯」のデザインである。
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光の3原色をモチーフにした色合いが美しい。特に私のお気に入りは「未踏の知」の青色だ。ぼぉっと眺めていると、宇宙を漂いながら世界の深淵を覗いているような、神秘的な気分に浸ることができる。私は普段はあまり本の帯の有無を気にする性格ではないのだが、本書に限って言えば内容以上に帯に惹かれて手に取ったと言っても過言ではない。もし本書をこれから読む方がいれば、ぜひ3冊そろえて並べてみて欲しい。

*1:研究室に連絡を取ってラボ見学させてもらうとか、twitterをやってる大学教授をフォローして現場の情報を流してもらうとかいう方法も考えられるが、そんなコミュ力お化けのような真似は私にはできない。

*2:冥王星の話はかつて「子供の科学」を読んでいた時に知ったのだが、私はその時に「科学的知識は固定されたものではなく、定説が変わることもありうる」ということを学んだ。

*3:少し専門的になるので脚注とするが、現在では多キュービット化のためにダイヤモンドに一定確率で含まれる炭素同位体の核スピンを用いるのがトレンドである。

*4:gigazineの記事ではダイヤモンドとは書いていないが、論文や英語記事の方を読めばダイヤモンドを用いていることがわかるだろう