不確定な世界

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「驚異の量子コンピュータ」;藤井啓祐著 読書感想

本日紹介するのは、藤井啓祐著「驚異の量子コンピュータ」。
著者の藤井先生は量子誤り訂正の理論を専門とする研究者であり、量子コンピュータの理論分野では日本を代表するトップランナーである。

本書は主に「ゲート型」とか「万能型」と呼ばれるタイプの量子コンピュータについて書かれている。”物理”と”情報”の研究分野が融合するまでの歴史の話から始まり、量子コンピュータの仕組みの説明に話が進む。ここまでは類書でもよくある流れだが、その後に実現への壁であるノイズとの闘いと、量子誤り訂正理論の発展によるブレイクスルーについてページ割かれているのは、専門家ならではであり類書には見られない特徴だろう。後半にはGoogleによる量子超越性の実証やNISQマシンの話など最新の話題もあり、これだけの内容がわずか160ページほどでコンパクトにまとめられている。一方で、本書はあくまでも学問的な視点で書かれており、ビジネスへの利用やライブラリの使用方法といった実践的なことはあまり述べられていない。とはいえ、そういった目的を持つ人に対しても、量子コンピュータへの入門書として非常にお勧めできるのは間違いない。

私が本書を読んで、個人的にさすが!と思った点が2つある。
一つは量子もつれの説明の部分。本書では量子もつれを「2つの粒子をそれぞれ箱に入れて、粒子が箱の仕切りの右側にあるか左側にあるか」というたとえ話で説明している。メディアや入門書でよくあるのは、「片方が右にあることが確定すると、もう片方も右にあることが同時に確定する」という部分だけを取り上げて、「(離れた位置にある)2つ粒子の状態が同時に確定する」ことが量子もつれの不思議さである、とする説明だ。しかし本書ではこのような相関は古典でも説明できてしまうことを指摘したうえで、さらに「箱の仕切り方を”上下”に変えても、片方が上にあれば片方も上にある」というところまで説明している*1。これこそがまさに本質的に量子特有の現象であり、例えばベルの不等式などもこの性質を利用している。

もう一つは、量子コンピュータの仕組みについて、すべてのパターンを並列に計算するだけでは意味がなく、干渉を用いて特定の答えが出る確率を増幅するステップを組み合わせることが重要である点に言及している点だ。
「重ね合わせによりすべてのパターンを超並列に計算するから速い」。これもメディアなどでよく見かける説明だ。普通のパソコンでさえマルチコアによる並列計算が当たり前になった現代において、この説明は直感的で理解しやすい。確かに量子アルゴリズムではアダマールゲートによって重ね合わせ状態をつくって利用する。しかし本書で述べられているように、単にすべてのパターンを並列に計算するだけでは、最終的に測定をする段階で正解が得られる確率が小さくなってしまう。量子アルゴリズムの肝はむしろ、いかに可能性をうまく絞り込んでいくかというところにあるのだ。例えば量子もつれも、このような絞り込みの手段の一種である。2ビット4パターンの組み合わせのうち、CNOTゲートによって「右右」や「左左」が出現する確率が増幅し、「右左」や「左右」のような組み合わせを取る確率が抑制されているわけだ。重ね合わせによる並列性だけでなく、干渉による絞り込みもセットで知ってると、量子コンピュータに対するイメージが変わってくるのではないだろうか。

このように、本書は数式を使わずに例え話とイラストでわかりやすく説明する一般向け書でありながら、学問的正確性も高い。それだけでも入門書として優れていると言えるが、加えて所々で著者の知的興奮が伝わってきて、読者の向学心を煽るのも良い。最後に、本書で私が最も感動した部分を引用させていただこう。

量子コンピュータは確率振幅というある種のアナログな量を使うことによって計算を加速しているが、量子情報に発生するアナログエラーについてはデジタル化して訂正することができるのだ。量子力学は、デジタルとアナログが両立するように、奇跡的に美しい構造をとっている。まさに、量子コンピュータを作り上げろと言わんばかりである。(p103)

サイコロ遊びが好きな神様は、どうやら人類が「宇宙をハッキングする」手段も用意してくれていたようだ。今後の量子コンピュータの発展と、藤井先生のご活躍に期待である。

なお、アニーリング型の量子コンピュータに関する同レベル帯の入門書としては、以下が読みやすいのでお勧めする。

*1:このことを専門用語では「測定基底を変えても相関を保っている」と表現する。