はじめに
量子力学ではよく、「演算子はエルミートである」と仮定して議論を進める。そこで「エルミート演算子」あるいは「エルミート行列」について調べてみると、難解怪奇な数学理論についてはたくさん出てくるが、「ふーん。で、エルミートって、結局はどういうイミなの?」「行列がエルミートであることは、現実の物理現象とどういう関係があるの?」という部分については意外と調べても出てこない。
この記事では、私の個人的な考えではあるが、量子力学において「演算子(行列)がエルミートである」とはどういうイミを持っているのかを考察したい。
エルミート演算子の定義
まず、エルミート演算子の定義を確認しよう。
ある演算子(行列)がエルミートであるとは、自分自身と複素転置(エルミート共役)が等しいこと、すなわち
が成り立つことである。
多くの量子力学の教科書では、このエルミート演算子の数学的定義と「以下、この本に登場する演算子はエルミートである」という事実だけが告げられるのだが、せっかく物理の教科書を読んでいるのだから、どうせならその意味にまで踏み込んで説明してもらいたいものだ。
エルミート演算子の性質
これはどの教科書にも必ず書いてあるだろうが、エルミート演算子の重要な性質は「固有値が実数」であることだ。このことについての証明や解説はググればいくらでも出てくるのでここで深く説明する必要はないだろう。
「演算子がエルミートである」ことの物理的意味
以上、どこにでも書いてある事実を述べただけだが、実はこれでもうエルミート演算子の物理的意味を考察する材料は揃っている。まず、エルミート演算子の固有値は実数である。そして、演算子の固有値は測定値に対応する。なら簡単ではないか。「演算子がエルミートである」とは、要するに、「測定値は実数である」ということを言っているだけなのだ。
もう少し噛み砕いて言おう。量子力学の教科書に「演算子はエルミートである」と書いてあったら、その行間には、著者の以下のような気持ちが隠されている。
「量子力学では、波動関数が複素数だったり、演算子の係数が複素数だったり直感的には把握しにくいだろう。しかし安心してくれ。たとえ波動関数が複素数だろうがなんだろうが、君が実際に粒子の位置や運動量やスピンを測定したとき、検出器の針は必ず実数を指している。感光板の複素座標が光ることはないし、検流計に複素数の電流が流れたりすることは有り得ない。君が実際に目の当たりにする物理現象は、必ず実数の姿で現れるんだ」
実際のところ、私は学生時代に量子力学の実験を数え切れない程行ったが、実験に使っていたパルスカウンタやオシロスコープが複素数を表示したことは残念ながら(?)一度もなかった。そう考えると、「演算子がエルミートである」ことを自明の事実として受け入れるのもやぶさかではないという気持ちにならないだろうか。