不確定な世界

科学の話題を中心に、勉強したことや考えたことを残していきたいと思います

量子コンピュータの基本素子・量子ビットのハードウェア実装(シリコン編その1~素子構造~)

はじめに

 量子コンピュータについて、”0と1を同時に計算する”という程度には知っている人も多いだろう。しかし、具体的に量子コンピュータのチップにはどんな回路が載っていて、どのようにハードウェアが駆動するのか?という部分は殆ど知られていないのが現状だと思う。

 

量子コンピュータのハードウェアには光を用いるもの、液体分子を用いるもの、超伝導回路を用いるものなど、様々な方式がある。この記事では、現在のコンピュータに比較的近いと思われるシリコンチップへの量子ビット実装について、論文を読んでわかったことをまとめていく。

 なお、参考文献としては主に

M. Veldhorst et al., An addressable quantum dot qubit with fault-tolerant control-fidelity. Nature Nanotechnology 9, 981–985 (2014).

を用いている。

 

シリコン量子ビットチップの素子概観

以下の図1に量子ビットチップの概観を示す。シリコン基板に酸化膜が皮膜してあり、その上にアルミニウムの電極や回路が載っている。素材や基礎的な構造は案外普通のICチップなどと変わらず、通常のMOS技術によって作成されている。既に十分成熟した半導体技術や量産ラインをそのまま利用できるのがシリコンで量子ビットを実装するメリットの一つなのだ。

 

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図1 チップの概観

 

さらに、チップ素子を上から見た電子顕微鏡写真がこちら(写真は参考文献より転載)。

 

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図2 SEM写真(参考文献より転載)

 

各回路の役割

とりあえず詳しい説明は後回しにして、各回路の役割をざっと説明しよう。

 

①量子ドット構成用電極

 G1~G4およびCとラベルが貼られた電極は、量子ドットという電子を閉じ込めるための一種の「箱」をつくるために使用する。

その中でも特に、電極G4は量子ビットのデータを初期化(フォーマット)したり読み出したりするのにも用いる(詳しい説明は後述する)。

 

②量子ドット

この部分が量子ドットいう一種の箱になっており、矢印付きの青い球が、閉じ込められた電子を表している。量子ビットとしてのデータは、この電子の「スピン」によって表現される(スピンについては後述)。量子ドットというと難しそうだが、要は電子の周りの電極にマイナスの電圧をかけることにより、電子を電気的な圧力で押さえつけることで、電子を閉じ込めている状態だ。

量子力学を教科書で学んだことがある人には、例題として解いたはずの「井戸型ポテンシャル」を思い出してもらいたい。図3のように、井戸の真ん中あたりに粒子(ここでいう電子)の存在している確率が高い、というような計算をしたはずだ。

 

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図3 井戸型ポテンシャル

 

量子ドットのことを「一種の箱」とぼかしたが、少し専門的に言えば電極によってこのような井戸型ポテンシャルをつくっているのだ。最先端のテクノロジーを理解するうえでも、教科書レベルの例題が意外に役に立つものだ。

 

③貯蔵電極

緑の電極に書いてあるRは、Reservoirのことで、(電子の)貯蔵庫を表す。前述のように、量子ドットには電子が閉じ込められているのだが、「そもそも、その電子はどこから持ってきたんだ」と思った方もいるかもしれない。実はその電子はこの電極から配給されるのだ。また、データの初期化や読み出し時の補助回路としても働く。

 

④単電子トランジスタ(データ読み出し用回路)

この部分は、単電子トランジスタ(SET:Single Electron Transistor)という回路を構成している。詳しい動作原理は後述するが、この回路に電流が流れるかどうかを検出することで、スピンの「観測」、すなわち量子ビットのデータ読み出しを行う。

 

⑤データ書き込み / 演算用回路

量子ビットへのデータの書き込みや演算は、この回路に交流電流を流すことによって行う。

 

⑥外部磁場 

チップ全体に1.4テスラという強力な磁場が与えられている。あまりピンと来ないかもしれないが、方位磁石(コンパス)と反応する地球磁場の大きさがおよそ0.00003テスラであり、一般的に冷蔵庫にメモを貼ったりするための磁石の強さが0.005テスラ程度である。とは言っても、オーディオ・スピーカーに内蔵されている磁石がちょうど1テスラ程度であることを考えると、家電製品に内蔵される磁場として特別大きいわけではない。なぜこのような磁場が必要なのかについては後述する。

なお、ついでにここに書いておくが、チップは希釈冷凍器と呼ばれる特殊な冷凍器に入れられ、50ミリケルビンという、殆ど絶対零度の超低温状態に保たれる。量子力学的な現象は極めてデリケートであり、熱雑音がある環境では使い物にならないからだ。ちなみに希釈冷凍器の価格は億単位。磁場はともかく、冷凍器が必要である限り、量子コンピュータを家庭に1台、というわけにはいかないようだ。

 

とりあえす今回はここまで

量子コンピュータのハードウェア・チップについて、概略は大体説明できたと思う。次回の記事では、スピンの概念について説明したい。

 

その2~スピンとは何か~